大阪冶金興業ブログOsakayakin's Blog

直感と決断でイノベーション、真空熱処理設備を導入

2021年01月28日

 ご安全に!

 楽観視を許されない状況で新型コロナによる大惨事が続いています。2度目の緊急事態宣言を受けて個人的にも企業としてもいかにこの事態に対処してゆくのか、考えさせられる日々です。

 企業としては、軽挙妄動せずにしっかり情報を収集しながら、地に足をつけた対応でリスクを回避してゆきたいと考えています。こうした状況で適切な判断を見極めるのは、広い意味での企業文化だと私は思います。そして、これは、いつの時代でも必要とされる心構えではないでしょうか。

 前回、前々回のブログで、大阪冶金の大戦中の創業当時のこと、またMIMという熱処理技術を応用した技術についてお話しさせていただきました。今回は、時代を遡って、敗戦後から高度経済成長に向かう日本を背景に、大阪冶金の歩みをお伝えしたと思います。ここにも、企業として大きな決断を迫られたストーリーがあるからです。

 戦時中は国のために軍需品の金属加工を行なっていたこと、そして戦後は国民のために耕運機や自動車部品の民生品を手がけていたことは以前にお話ししました。まだ日本が敗戦から立ち直ろうとする比較的穏やかな時代と言えます。やがて時代は高度経済成長の幕開けを迎えます。

 大阪冶金は引き続き金属熱加工の分野で実績と信頼を築いてきましたが、1960年には「所得倍増計画」が政府により示され、経済成長が加速されました。当社も1963年には工場を拡張し、1968年には本社社屋が完成しました。そして1969年を迎えました。それが大阪冶金にとって運命の年になりました。

 1969年、私は海外の現状を知るために、40日間の欧米の視察団の一員として旅に出ました。欧米の現状を知って驚いたのは、日本においては研究レベルのことが、欧米ではすでに実用化されていたという事実です。そして、そこで真空熱処理炉を見たのです。

 私は大学時代に金属の研究をしており、日本の研究室で使用していた小さな真空炉しか知りませんでした。それがすでに実用化されて現実として存在する、それは感動と言えるほどの驚きでした。これからの時代にこれは必要な設備だ、と私は直感しました。

 私はさっそく社長であった父に国際電話をかけて真空熱処理炉の説明をしました。私の話を聞いた父は「購入しろ」と即決しました。当時、日本にはまだ導入されていない高額の設備を父は私の説明だけで決断したのです。この私の直感と父の決断は、大阪冶金の未来を左右することになりました。

 真空熱処理炉は、現在は多岐に展開している大阪冶金の技術の根幹にあるもので、各分野に技術が応用されて進化しているものの、今もその重要性は色あせることはありません。当社は一企業として、そうした経験に自信と誇りを持ち続けたいと思います。

 そして、多くの企業や個人にもそのような物語があると思いますが、それぞれのストーリーや思いを心から尊重したいと思います。

ご安全に!
ご健康に!