大阪冶金興業ブログOsakayakin's Blog

石碑に刻んだ思い、100年企業としての決意。

2023年10月27日

 ご安全に!

 大阪冶金は1941年に先代の寺内要が東淀川の瑞光で創業しました。太平洋戦争開戦の二ヶ月前です。この瑞光という地名にも土地にも私は深い思い入れがあります。

 本社は現在も瑞光にありますが、1980年に三木工場を竣工して、製造部門をそこに移しました。国家プロジェクトである濃縮ウランプラント遠心分離機の真空熱処理に対応するために国内最大級の真空ガス冷却炉を導入するのが理由の一つでした。これを始めとして、三木工場はますます発展して行きます。

 1996年には、MIM(金属粉末射出成形)の特許を取得し専用工場竣工、2003年にALD社製ガスアトマイズ装置を導入して金属粉末加工技術の充実を図りました。その技術を応用した医療機器開発を開始しました。2014年に熱処理では熱核融合実証炉の部品製造のためにITERプロジェクトに参画しました。さらに同年には、次世代の粉末冶金の一つの3Ⅾプリンティング技術であるEOS社製金属粉末積層造形装置を導入しました。

 2018年は、MIM技術を採用した航空機の次期ジェットエンジンブレードを開発するための戦略的イノベーション創造プログラムSIP-IIにも参画し、無事プロジェクトを終え実装に向けてチャレンジしています。同2018年には粉末加工技術を活かした医療機器の製造販売を開始しました。
そして2021年には創業80周年という記念すべき日を迎えることができました。

 こうした当社の発展の歴史は、大阪冶金を語る上で欠かせない出来事です。
しかし、今日お話ししたいのは、そのことではありません。私が今日、伝えしたいのは、2022年に竣工した新棟「本館」の前に位置している石碑のことです。この石碑は神武天皇の詔(みことのり)である「八紘為宇(はっこういう)」という言葉が刻まれています。この言葉の意味は、「地球上のあらゆる民族が、一軒の家に住むように、仲良く暮らすこと」を望んだものです。

 今という時代にこの言葉はますます重要性を持っていると私は思います。

 そしてこの「八紘為宇(はっこういう)※」という言葉こそ、創業者の寺内要が瑞光の本社の国旗掲揚台に刻んだ言葉にほかなりません。この言葉には、先代の並並ならぬ思いが託されています。先ほど、当社の発展の歴史を振り返りましたが、こうした一つ一つの出来事はすべて、「地球上のあらゆる民族が、一軒の家に住むように、仲良く暮らすこと」を目指すという当社の創業の精神につながります。

 私はこの創業の精神を大阪冶金が掲げ、あと10年、20年と発展を続け、やがて100年企業としてその理想を実現することを強く願っています。そうした思いを、石に刻みつけるように強く胸にも刻み、100年企業として挑戦することの決意を新たにしたいと思っています。


ご安全に!
ご健康に!

<三木工場に建立した「八紘為宇」碑>

 ※「八紘為宇」とは…

 「八紘為宇」(はっこういう)は、日本の歴史と文化における非常に重要な概念で、特に古代から中世にかけての国家の神聖性に関連しています。「八紘為宇」の使用は、日本の歴史的な文書や古典文学に広く見られ、日本の伝統や文化において、国家のアイデンティティや歴史の一部として尊重され、象徴的な価値を持ち続けています。