ご安全に!
最近、私は人生を振り返り、様々な思い出に思いを巡らせています。若い人も、高齢の人も、人生を象徴するような「思い出」があることは、素晴らしいことだと思います。いつまでも心に残る思い出があることで、人は強く生きていく自信と勇気を持つことができるのではないでしょうか。
何もスケールの大きな話ではなく、ささやかな思い出でいいのです。人が心のどこかに刻んでいる思い出が人を励まします。私にも大切な思い出の数々はあります。思い起こせばキリがないくらいですが、少しお話しさせていただきます。
私は、金属を研究しようと決め、関西大学に入学しました。さらに大学院に進学し、遊びもお酒も控えて、ずっと研究室に篭りきり、それでも研究が楽しくて仕方のない日々を送りました。やがて大阪冶金に入り、アメリカ・ヨーロッパの視察団に参加することになりました。それは1969年、日本ではオリンピックや新幹線の開通が、アメリカではアポロ宇宙船の月面着陸があり、世の中がエネルギーに溢れていた頃の話です。
このアメリカ視察で、私は真空炉に出会いました。この真空炉が金属熱処理技術、そして大阪冶金の未来を変えると信じ、当時社長であった父に国際電話を掛け、真空炉の購入を頼み込んだのは、今でも忘れられない思い出のひとつです。まだ若かった私もまた、世の中に負けないエネルギーに満ち溢れていました。今こうして、この出来事を良き思い出と振り返れるのは、この真空炉で金属熱処理技術と大阪冶金の発展に全力を尽くしてきたからだと思います。
同じころ、大阪では阪神高速環状線が開通していました。大阪万博の開催で、世界中から人々を呼び寄せるために幹線道路が整備されていたのです。当時、私は環状線で車を走らせ、発展する大阪の街の光景を目に焼き付けながら、大阪冶金の社長としての今後の覚悟を固めていました。そしていつかまた、万博が日本で開催される時が来れば、万博に出展できるだけの企業になっていよう、そういう夢を抱きました。
それから50年以上たち、2025年の万博を目前にしています。環状線を走りながら抱いた夢を実現するべく、そして、またこれが新たな良き思い出になるように、いま、全力を尽くしています。そして、この万博を見た子供たちや若い人の思い出になり、夢を抱いてくれることを願っています。
ご安全に!
ご健康に!