大阪冶金興業ブログOsakayakin's Blog

コロナ時代に考える12月8日と大阪冶金創業のこと

2020年11月30日

 ご安全に!

 年の瀬が押し迫ってまいりました。2020年がもう暮れようとしている、そんな実感はあまりないのですが、なんだか慌ただしい気分になります。この時期に、私が思い出すのは、12月8日のことです。もちろん、1941年12月8日の日本が太平洋戦争に突入した日のことです。

 今年はとくに太平洋戦争に突入した当時の日本のことが気になります。それはコロナという世界を襲っている感染症という大惨事が、あたかも戦争のような悲惨な状況を想起させるからです。

 私自身は、当時はまだ生まれていなかったのですが、先代の寺内要が大阪冶金を創業したのは、1941年の10月でした。まさに真珠湾攻撃による開戦の2ヶ月前のことです。

 先代が創業に至った経緯は、今年の8月のブログ「継続は力なり。創業80周年に向けて」で少し触れていますが、ここで改めてお話しさせていただくと、繊維の商いをしていた先代が金属の熱処理のお仕事を始めたのは、ある意味で仕方がなかったからです。と言いますのも、政府の統制で繊維の仕入れがままならず、出会った方のお勧めもあり、金属加工業の世界に飛び込みました。

 これは口で言うのは簡単ですが、今と違って商売人が物作りを生業にすると言うのは当時はあまり例のないことでした。しかし、先代には、やがて日本は戦争に突入する、その時には、金属加工業は国のためになくてはならない仕事である、と言う予感があったと思います。

 その予感は創業の2ヶ月後の12月8日に現実となりました。先代の挑戦が功を奏したと言えます。そこから大阪冶金は、呉海軍工廠や川崎航空機などの軍需品の熱処理を行いました。

 その一例が当時の最新戦闘機「飛燕」のエンジンの部品製造です。「飛燕」は首都圏を防衛するという任務を与えられアメリカの爆撃機B29を数多く撃墜したと聞いています。国はもちろん、国民の命を守る役目を果たしたことに少しでも力添えできたことを光栄に思います。

 このように止むを得ない状況から選んだ金属熱加工業ですが、それを使命と考えて必然に変えてゆく挑戦する力を大阪冶金は創業時の精神としてすでに持っていました。また国や国民のためになることを時代の要請として捉え、積極的に応えてゆく精神がここにあります。

 これからの時代はコロナだけではなく、様々な困難が待ち受けているかもしれません。しかし、どんな課題であっても、それをチャンスに変える精神が大阪冶金に受け継がれてゆくことを願っています。

ご安全に!
ご健康に!